はじめに
中学生の僕は、誰もいないリビングのフローリングの上にゴロンとしながら、村上春樹の『風の詩を聴け」を読んでいた。
突然、ラジオが、ジジ、ジジ、と音を立てはじめた。
コーラを飲んだDJが、「むっ、むっ、」と繰り返す。
リビングの窓から外をみると、海が見えた。
どこかの病室からこの海を見ている少女の事を思った。
小説を紹介する時に、
「どういう話し?どこが面白かった?」
と聞かれる事があります。
推理小説なんかは、ストーリーを説明するだけで興味を持ってもらえたりします。
でも、村上春樹さんの小説と伊坂幸太郎さんの小説だけは、説明するのが難しい。
おそらく、ストーリーだけを説明しても興味を持ってもらえない可能性が高く、非常に良い本だ、と思っても読む人によっては何が言いたいのかわからない。と言う事も良くある。
僕としては、良い小説と言うのは、内容よりもそこに何が見えるか、のほうが重要なんだけれど。
ストーリー
帯によれば、太宰治の未完の絶筆「グッド・バイ」から想像を膨らませて創った、まったく新しい物語。
との事。
太宰治のグッドバイについては、青空文庫でも読めます。
太宰治 グッド・バイ
太宰治のグッドバイの中で、
「全部、やめるつもり、……」大男の文士は口をゆがめて苦笑し、「それは結構だが、いったい、お前には、女が幾人あるんだい?」
と言うセリフがあります。
本書の主人公、星野一彦も五人の女と同時に付き合っている。
そして、
と言う。僕はあと少しすれば、「あのバス」に乗せられる。お金のトラブルがそもそもの原因ではあるが、それ以上に、知らない間に僕がどこかの恐ろしい人物の機嫌を損ねていたらしい。
繭美と言う、星野一彦を「あのバス」でどこかへ連れていくグループからの使いで、巨体な、人が嫌がる事を言うのが好きな女に監視されている。
星野一彦は、五人に別れが言いたいと繭美に懇願し、意外にもグループからはOKがでる。
理由は、「面白いから」
イチゴ狩りで出会った、元不倫相手がディズニーのパクリ著作権で財をなした男だった、女。
映画のワンシーンのように、車を止めて出会った子持ちの、女。
ロープで高いところから降りるのが趣味の女泥棒のような、女。
耳鼻科で出会った数字が得意な乳がんかもしれない、女。
女優な、女。
五人の女に、別れを告げていく。
巨体で口も態度も悪く、襲われたら殺されそうな繭美と言う女と結婚するから、別れるといいながら。
僕は、パンになりたい。
最も感動した章が、女優の章。
星野一彦が最後に別れを告げた相手、有須睦子は、女優で美人だった。
女優になるべくして生まれてきた、と言われても有須睦子にはぴんと来なかった。
自分が、女優に関心を抱いたのは、単に、近所にいた年下の幼稚園児が、すでにその顔も名前も覚えていないが、その彼が、
「お姉ちゃん、女優になったら?綺麗だし」
と無邪気に言ってきたことがきっかけだった。
当時、小学生だった有須睦子はその時に初めて、女優という仕事を知った。
そして、少しませた言い方をするその幼稚園児に、
「ぼくは大きくなったら何になるの?」
と訊ねると、
「パン!」
と快活に即答されたので、笑ってしまった。
「パン?パン屋さん?」
と聞き返すと、首をぶるぶると横に振り、
「じゃなくて、パンだよ。パン!」
という。
大きくなったらパンになる、とはずいぶん難易度の高い夢に思えたが、とりあえず、
「美味しいパンになってね」
とだけは伝えた。
その話をすると佐野は、くすりともせず、「人間はパンにはなれません」と生真面目に答えた。
(中略)
「未来のないおまえにあえて聞きたいんだけどな、星野ちゃん、おまえにも子供の時は、将来の夢とかあったんだろ?」
「ああ」
僕は自分の顔が歪むのが分かる。
「いろいろあったけど。どれにもなれなかったな」
「たとえば?」
そこで僕は恥ずかしさをこらえ、
「パン」と言った。
「パン?」
繭美が大きい声で、聞き返してきた。
「パンってあのパンか?食べるやつか」
「そうだよ。子供の時だよ」
理由は分からないが、僕は小さい頃からパンが好きで、いっそのこと自分があのふっくらとし
たものになりたいと思い、そして、なれると信じていた。
恐ろしいことに、小学校の低学年までそのことに疑問を抱いていなかった。
「おい、聞いたかよ」
繭美は急に立ち上がり、撮影現場であることも構わず、
「こいつ、将来の夢がパンだったんだとよ。食べるパンだぞ。馬鹿じゃねえか。笑ってくれよ」
と騒いだ。
座れよ。と僕は言う。
「本番はじまるって」と。
そして、顔を上げ、有須睦子と目が合った。
あ、と言いそうになる。
彼女は、初めて見る表情をしていた。
身に付けていた武具を取り外したかのような、清々しさと呆然とした様子が混ざり合った顔つきで、目には涙が浮かんでいた。唇を震わせている。
僕はたじろぎ、いったいどうしたのだ、と動揺した。
やがて、有須睦子は微笑む。涙は頬を流れはじめる。
「おい、おまえ、何で泣いてんだよ!」
繭美が、有須睦子に気づき、怒った。
「本番はじまるじゃねえか」
まわりのスタッフがざわつきはじめ、監督の声がどこからか聞こえる。
そこで有須睦子が、
「美味しいパンにはなれなかったんだね」
と言った。
え、と僕は答える。
自分の記憶が刺激され、そこから大事な場面が呼び起こされるような予感があったが、それも繭美の大声で掻き消される。
「おい、マネージャーどこだよ。この女優女、なめてるぞ。仕事中に泣いてるじゃねえか。どうにかしろよ」
繭奨は立ったまま、撮影現場であるその店内を見渡し、佐野さんを捜していたようだったが、すぐに呆れた声を出した。
「サイボーグ、何で、おまえまで泣いてんだよ。いったいどうなってんだよ」
この引用で、この章の素晴らしさが伝わるとも思えないのですが。
もちろん、「何かがあって、こうなりました」、と言う事に意味がある小説ではなく、何気なく交わされる会話のテンポとそこから発する音程と景色が見えるような小説なので、あった出来事にあまり意味はない。
けれども、女優として心がなくなるまで演じて、無表情無感動な態度の、有須睦子が何故か、星野一彦と付き合い、そして別れを拒み、最後に涙を流す場面は、ぐっときます。
バイバイ、ブラックバード
女優の章の中で、マスコミに追われマネージャーの佐野が運転する車に乗り込んで、別れをマネージャーに報告した時に、マネージャーの佐野が歌い出す歌があります。
「佐野、それ、何の曲なの」
有須睦子も驚いていたから、やはり、珍しいことなのだろう。
「「バイ・バイ・ブラックバード」という曲です。知ってますか?」
佐野さんはハンドルを握ったまま、言う。
「「悩みや悲しみをぜんぶつめこんで行くよ。僕を待ってくれているところへ。ここの誰も僕を愛してくれないし、わかってもくれないしって、訳すとたぶん、そんな感じです」
何で急にその歌が飛び出してきたのだ、と僕は訊ねようとした。
先に、佐野さんが言った。
「ブラックバードって、不吉というか不運のことを指してるみたいですよ。バイバイブラックバード君と別れて、これからは幸せになりますよ、と。そんなところですかね」
伊坂幸太郎さんの小説には、村上春樹さんと近い歌が流れている。
僕は、ジャズは詳しくないので良くわかりませんが、とても気持ちが良くて、少しひねくれている歌が流れているように思います。
最後に
小説の楽しみ方は、人それぞれだと思います。あり得ない話しを読んで、なにが面白いんだ。と、思う人。
日々の現実から、目を背けるために読む人。
もうひとつの、物語から現実を変えていく人。
現実は、なかなかに、厳しい。
でも、小説よりも小説みたいな時もある。
いずれにしても、物語は、人が作り出す。
ビジネス書も楽しいですが、時々は、あり得ないような物語の中で、あり得ないような別の物語を生きてみてはいかがでしょうか。
以上です。
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