はじめに
なんかちょっとなタイトルだな。と思ってしまいましたか?
実は僕はそう思ってしまいました。
たぶん、どこかのブログでこの本の事を知って図書館で予約したのですが、手元に届いてみてなんでこんな本借りたんだろう?
とタイトルだけ見て放置してました。
ところが中身を読んでみて、過去の自分に感謝しました。
ありがとうこの本を予約しておいてくれて、と。
著者の前刀 禎明 (さきとうよしあき)さんは、
ソニー、べイン・アンド・カンパニー、ウォルト・ディズニー、AOLを経て、1999年に株式会社ライブドアを創業。
2004年、日本市場で低迷していたAppleをたて直すべくステイーブジョブズ氏に日本を託され、米国Appleマーケティング担当ヴァイス・プレジデント(副社長)に就任。
同年、Apple日本法人代表取締役を兼務。
日本独自のマーケティング手法で、iPod miniを大ヒットへと導き、「iPodの仕掛人」と呼ばれ、日本におけるAppleブランドを復活させて一躍脚光を浴びる。
米国本社で行われるジョブズ氏主催のエグゼクティブ・ミーティングに本社勤務以外の人間として初めて参加し、Appleの世界戦略とマーケティングに大きく貢献した唯一の日本人としても知られる。
と言う経歴の持ち主。
著者も本書の中で言っているように経歴や肩書きで人を見ているうちはダメなんでしょうけど、それだけの事をしてきた人の言葉だから素直に入ってくると言うのは悲しいかな、あります。
これが何もしてない人が真似なんかするなと言っても、少しは真似してでもヒット商品作ろうよ、となってしまう。
日本人ですね。全く。
Appleでの出来事もふんだんに盛り込みながら、イノベーションを起こすためには、何が必要なのか、ヒントを提示してくれる本です。
いらないものはバッサリ切り落とす
著者は、自身がおっしゃっているように、ジョブズを神のように崇拝しているわけではないようです。
もしろ、ソニーの井深さんや盛田さんに対してのほうがものすごい敬意を感じるくらいです。
それでも、言葉の端々にジョブズの言葉を引用したり、言葉自体がかなりジョブズにシンクロするのは、きっと考え方や感じ方がかなり近しいんでしょうね。
いらないものはバッサリ切り落としてしまう。
それはスティーブ・ジョブズがアップルに復帰したあと、美しさやユーザーの使いやすさそのものに価値を見いだしたiMacの大ヒット一つで社業を復活に導いたことと重なります。
しかし、いまの日本のメーカーは右へならえですから、営業的に苦戦するようになると、同業他社より機能を一つでも多く追加しようと、得てして営業部門から開発部門へのプレッシャーがかかる。
家電量販店やお客様に「売り」を説明しようとするあまり、こんな機能も、あんな機能も、と追加していく。
それは努力の割にユーザーにとってわかりにくく、当然訴求力もありません。
ユーザーを見ていないのです。
メーカーばかりを責めるのは不公平です。問題は日本人そのものにあるのだから。
このあと著者は、日本人の右へ倣え気質について言及します。
そしてそう言った特性を理解した上で、iPodの戦略に活用した事も。
これは、会社で商品企画や商品開発に携わっている人には、非常に耳が痛い話しではないでしょうか。
こういうものを作ろう!
と言ってはじめたものが、途中で何も理解していない上司の命令で、当初に向かっていた方向とまるで違う方向に遭難してしまう。
決してダメダメな会社のダメダメエピソードではなく、日常的にあらゆる会社で起こっている事ではないでしょうか。
おそらく、日本だけでなく世界中で。
本当に必要なものは何なのか。
答えがない問いだからこそ、ジョブズが言うように、探し続けなければいけないのでしょうね。
感動はユーザーが自分で作り出す
あるストーリーを、1から10まですべて理詰めで説明されても、納得はしても感動はしません。
映画でも小説でも、むしろ足りない部分を残し、そこを個々人が想像して補うことによって、ストーリーがより自分のものになって感動できるのです。
そう、自発性の余地が残されているからです。
これは、ビジネスでも、プレゼンテーションでも実は同じです。
いくらパワーポイントやキーノートを完璧に作り上げて説明しても、100%の内容が与えられてしまうと、決して相手は感動しません。
そこに自分なりの理解の仕方を工夫するという余地がないからです。
いきなりですが、僕は今この文書をDraftPadというアプリを使って書いています。
DraftPadは、それだけではただのメモアプリですが、スクリプトの形でユーザー自身がいろいろな付加機能をつけられるように設計されています。
そのおかげで有志のチカラで、ブログの文書も簡単に書けてしまいます。
人は完璧なものを提示されるよりも、そこにユーザー自身で付加価値をつけられるものと接して自分なりの価値をつけられた時、それは、そのものが元々持つ価値の何倍もの価値にかわります。
これを読んでくれている人で、関東出身の35際前後の方ならもしかしたら知っているかもしれませんが、僕らが子どもの頃、牛乳のキャップでメンコのようにして遊ぶ遊びが流行りました。
元が牛乳キャップなので、なんて事はないのですが、手塩にかけて平べったくして倒されにくくしたキャップが取られるとそれは悔しかったものです。
著者は、最近のテレビゲームはこの対極にあると言います。
何もかもが完璧にしたパッケージで提供され、そこにユーザーの入り込む余地がないと。
僕はゲームをやらないので、最近のゲーム事情はわかりませんが、確かに大人になってゲームをやらなくなったのは、誰が作った場所で遊ぶ事にあまり魅力を感じなくなったからかもしれません。
無駄な事はない点を繋げ
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチはあまりに有名ですが、なかでも、かつて学んだカリグラフィの技術が、当時は思ってもみなかったアップル製品のフォント作成に役立ったことを例に、創造性とは「connecting the dots.」(コネタティング・ザ・ドッツ・・・そのときには確信ないけれど、たどってきた点。いま思えば、つながっている道)だと語った一節に、強い共感を持ちます。
人生には、きっといつまでも明確な答えやゴールはない。
でも、やりたいこと、何か楽しそっだと思うこと、おもしろい展開になりそうな方向に行きたいと思うこと、自分の五感と想像力を頼りに生きていけば、一見ランダムに見えても、やがて点と点が思わぬ形でつながります。
「connecting the dots.」です。
大切なことは、「ドット」である点の数が多ければ多いほど、長く、強い線になること。
興味を持ったことや経験が多けれは多いほど、それらがいずれつながったときの迫力も増します。
新人の頃も、今もこの事は良く先輩に言われます。
特に、飲み会に参加する事も、家族と旅行に行く事も、直接仕事とは関係のない事こそ、積極的に行うべき。
最初から仕事になるなんて思わないからとてもニュートラルに物事を捉える事が出来るし、そこから新しい発見や新しい関係がはじまる。
あまりに理路整然と目的と結果がある世界なんてつまらないですよね。
最後に
なんの科学的根拠もありませんが、僕は人間の脳と言うのは、データベースのようなものだと思っています。
ただし、一度インプットしたキーの組み合わせしか持てないデータベースではなく、今までは全く関係のなかったテーブルのキーの相関関係を見つけだして、キーを補完していけるようはデータベースなんじゃないか、と考えています。
著者やジョブズが言う点を繋ぐと言うのは、まさにいろいろなインプットをしておいてその繋がりが繋がるのを楽しめ、と言う事に思えるのです。
そして、その繋がりの一番重要な部分だけをユーザーに提供して、ユーザー自身がまた新しい繋がりを作れるようにしなさい。
そんな風に僕には思えるのですが、いかがでしょうか。
長くなりましたが、とても良い本なので、是非読んでみてください。
以上です。