はじめに
また、シェル・シルヴァスタインさんの本の紹介。
先日ご紹介した、
は、村上春樹さんの訳でしたが、こちらは、倉橋 由美子さんの訳。
1976年発行なので、僕が産まれた年に出されているのですね。
1976年といえば、Appleが設立された年であり、タクシードライバーが上映された年。
日本では、木綿のハンカチーフやなごり雪、東急ハンズ設立などとにかく世界中が元気な年でした。
どんな物語?
僕が読んで感じた内容で書いてみます。
『ぼく』は、欠けている。
注意:本文を僕が感じた内容で書いていますので、正確な引用ではありません。
欠けているから、面白くない。
だから、僕の欠けている『かけら』を探しにいく。
ぼくは、ころがる。
ぼくは、欠けているからはやくは、ころがれない。
だから、カタツムリとあそんだり、花とはなしたり、蝶々がとまったりしながらころがる。
うたをうたってころがる。
大きすぎる『かけら』
尖った『かけら』
小さい『かけら』
ぴったりだと思ったら手放してしまった『かけら』
ぴったりだと思ったら壊してしまった『かけら』
ぴったりだと思ったら断られてしまった『かけら』
そして、ついに、ほんとうにぴったりの『かけら』に出会う。
『きみは、だれかのかけらかい?』
『わたしは、だれのかけらでもないわ。わたしはわたしのもの。』
『ぼくとぴったりくっついてみないかい?でも、ぴったりくっつけるかわからないのだけれど。』
『ためしてみたら?』
ぼくは、もう欠けていない。 まんまるのぼくになって、くるくるところがっていく。
とてもはやくころがれるようになった。
とてもはやくころがるものだから、カタツムリと遊ぶことも、花とお話しすることもできない。
蝶々もとまれない。
ぽっかりと欠けていた口がふさがってしまったので、うたもうたえない。
それで、ぼくは、『かけら』をそっとおろした。
どのように読むか?
本書は、絵本にしては、少々ページ数が多いです。
ただ、1ページに1行程度の文字しかないので、ページをどんどんめくっていくのが楽しいらしく、子どもも一緒にページめくりを楽しんでくれました。
落書きのような、パックマンのような『ぼく』は、欠けた『かけら』を探してころがり続けます。
この物語を自分探しの旅とみるか、夫婦や恋人の物語とみるか、いろんなな見方があると思います。
僕は、最後にそっと『かけら』を手放したシーンでなんとも悲しい気持ちになりました。
何かを手にいれて『まんまるくなる』と言うのは、すべてがオールOKになるのではなく、何かを手放して何かを手にいれることなんじゃないかと、思うのです。
『ぼく』がもともと手にいれていたものを大切に思い、新しい何かを手放してもとに戻るのは、いいのですが、残された『かけら』があまりにも不憫だな、と。
ただ、『かけら』は『かけら』で、何かを手にいれ、何かを手放すことを『ぼく』とは別な視点で決断していたのかもしれません。
だから、不憫だと思う事自体が、思い上がりなのかもしれません。
最後に
シェル・シルヴァスタインさんの本は、絵本の体裁をとりながら、子どもに読み聞かせをしている大人に向けて強烈なメッセージを投げかけてきます。
そして、古いうたがとても良くあう絵本です。
この本を読んでいる間、ずっと、Bob Dylan の「Blowing In The Wind」が流れている気がしました。
Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963) - YouTube
何故か、「Like a Rolling Stone」ではなく。
Bob Dylan - "Like a Rolling Stone" - YouTube
時代が変わっても、変わらない古いうたや本と言うのは、ほんとうにいいですね。
以上です。
補足:本文からの引用はこちらで紹介したアプリで行なっています。
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